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 1991年の中国ってこんな感
  

15年前、あなたは何をしていましたか?
幼稚園? 生まれてない? ああ、そうですか。若いですね。
私はうら若き2?歳の学生。ヒマはあるがカネはない。画に描いたような普通の学生でした。
そこで一念発起!
「中国へ一人旅だ!」と。今から思えば、怖いものナシでした。
「三国志」が好きだったので、行き先に迷いはなし。
激しいカルチャーギャップの数々を体感しましたよ。
春休みを利用し、
30日間の珍道中。いざ。

前編:中国大陸上陸! 魔都上海⇒苦難の北京 編
続く・・・


*旅行中、ちゃんと日記を付けていました。 ⇒
 行った場所、泊まったところ、食ったもの、出会った人…
 このおかげで、忘れていた記憶も鮮明に思い出すことが
 できました。
 と言うか、あまりの内容のしょーもなさに笑っちゃうこともあり。
 でも、とても懐かしい気持ちになれます。
 この旅行記を今書けるのも、この日記のおかげ。偉かったな俺。
 なるべくこの日記に忠実に、15年前に戻ったつもりで書きます。

 プラス、昔の写真もスキャナーで取り込めば一発データ化!
 家庭用プリンターのレベルアップも素晴らしいね。

■1991年3月5日(火)1日目 大阪港出発

集合場所は大阪港。「空港」ではなく、お船さんの「港」です。
「は? 何で港なの?」と思ったお方。ここから「鑑真号」に乗って上海まで2泊3日の船旅は、当時のバックパッカー学生には当然の常識っすよ。なんせ今でも一番安い2等室なら、学生は上海往復で
27,000円。当時は航空券も高かったから、ヒマは死ぬほどある安さ至上主義の学生にはもってこい。
でも帰りまで船に乗りたくなかった私、香港から飛行機で帰ることにした。プチリッチな気分。
それでも中国・香港での宿泊なしで
10万円ちょいしたと思う。高かったなあ。

では、ここから日記に戻ります。

昨日まで降っていた雨もあがり、曇り空での出国。
12時の出港の前に出国手続き。
案外あっという間に終わる。噂に聞いていたが、出稼ぎらしき中国人の
持ち込み荷物は凄まじい。冷蔵庫あり洗濯機あり、
125ccのバイクまで持ち込む。

船内では10人部屋(全員男)の
特別2等室というのに入ったが、
仕切りが無いただの2等室とどう違うか、理解に苦しむ。
何にせよ、これから
約45時間の船旅の拠点、
皆さん宜しく頼むよ!

船内はいたってシンプル。ただ、中国人の女性の船員さんは、
一応客商売だけあってみんな
美人だ。
船を出るまでに一緒に写真を撮ろうと思う
(「何書いてんだ俺」by今の俺)

出港してから3時間も経つと、
狭い船内だから既に飽きてきた。退屈。
もう何十回も読んだ中国旅行のバイブル
「地球の歩き方 中国編」(「地球の騙し方」ってくらい
アテにならない時もあり)を読み直して時間を潰す。
また、同室の中国旅行の先輩学生から、この街はいいよとか
このホテルはいいとか、情報収集に勤しむ。

夕方には太平洋に出たせいか、海が荒れて揺れが激しくなってきた。
エレベーターの中でずっと上下しているような感覚だ。
船内にはマグロのように横たわるグロッキー者続出だが、
船酔いへっちゃらな俺は相手をする人がいなくて更に退屈。

フツーの中華定食のような夕食を食べて8時くらいにウトウトし、
10時過ぎに熟睡。

「鑑真号」デッキ上で。手前にいるのは後々まで一緒に
行動することになる高○君。



特別2等室という雑魚寝部屋。
朝食 自宅 宿泊
昼食 船内自販機の「どん兵衛」\200 鑑真号特別2等室
夕食 定食 \850 ごはんが固い -

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■3月6日(水)2日目 鑑真号船上


昨日よりずっと天気が良く、船も揺れなかった。風が気持ちよく、
デッキの上でボーっとしているのは良かった。
周りを見ても海と空以外何もない。

昼時にラーメンを買いに行ったら、アメリカ人の女の人が、
「Can you speak English?」と来て、どのラーメンが
美味いのかを聞いてきた。とりあえず「どん兵衛」と「カップヌードル
 シーフード」を勧めておいた。

晩飯で同じテーブルに座った人は、もう何年も中国に行ったり
すんでいるということで、その人の話はとてもためになった。
これから行く中国のいい所・悪いところを聞き、自分はどう感じる
のかな、と少し楽しみにもなった。

明日はやっと上海上陸、早く寝なきゃと思ったが、静岡の大学
3年の女子2人+高○君+他1名(忘れた)とトランプと酒で
盛り上がり、
2時を過ぎてしまった(「早く寝ろよ俺」by今の俺)

外は霧が出てきた。明日は雨が降らなきゃいいが…

同室の学生たちと。今ならアキバ系と言っても
通用しそうな風貌だが、皆さんフツーの学生です。
朝食 おかゆ、春巻、焼売、パイナップル、コーヒー 無料 宿泊
昼食 船内自販機の「カップヌードルシーフード」\200 鑑真号特別2等室
夕食 スペアリブのようなものがメイン \700 -

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■3月7日(木)3日目 “魔都”上海上陸



朝8時頃に起きたがやはり眠い。
9時にビザとパスポートをくれるはずだが、中国式で異様に効率が
悪い。日本人の乗客に手伝わせる始末。

外へ出ると、真っ青な海がコーヒー色に変わってる!と思ったら、
既に
揚子江に入っていた。「このバカでかいのが川?」って
思うくらい、広い。

鑑真号は午前10時、無事上海の「上海外虹国際客運站」に到着。
いよいよ広大な中国大陸への一歩を踏み出すぞ!

雨上がりっぽい雰囲気の上海は独特の湿気と香りがある。
西も東もわからないので、取りあえず船内で予約しておいたホテル
「浦江飯店」の多人房(ドミトリー)に入り、持ってきた円T/Cを
元に換える。このホテルは客船ターミナルからも近く、船便で来た人
にはメジャーなホテル。

当時、1万円のT/Cで380元弱で換えられたので、
1元=約26円
(今は約14円)。予定では宿泊込みで
1日=千円くらいで暮らせる
計画なので、1万円あると1週間は過ごせる計算。
安っ!

いよいよ上海の街歩きだ。が、…しかし、何と人の多いことか!
クラクションの音、チャリンコのベル、「チェンジマネー」「私日本語
習ってるの」の声… どうして平日なのにこんなに人がいるのか?
どうしてこんなにメチャクチャな運転をしてるのに事故が起こらない
のか? 不思議なことだらけだが、これがまた面白い。

2人組の若い男が「電車の切符買ってあげる」と寄ってきたが、
かなりぼるらしいのでやめといた。

ある店で、旅行カバン用にチェーンキーを購入。
初ショッピング!
しかし、
取りあえずキーを指差して「これ一つ」と中国語で言えば、簡単に
買えてしまった。
拍子抜け。
でも、そこは社会主義の国、店員には愛想のあの字もないし、
お釣だってクシャクシャの札をポイッと投げてよこします。
これが普通って慣れるのみ。

さんざん歩き疲れて、黄浦江沿いの市の中心地
外灘(ワイタン、
通称バンド)を歩いていると日本人に会う。
異国の地で会う日本人、何と頼もしいことか!

この方と夜9時過ぎまで晩飯を食べ、飲む。
焼きそばを頼んでみたが、油っぽくてしつこい。
日本のものとは別物だ。
彼はもう上海は7回目という強者で、安い店もたくさん教えて
もらえたし、中国の色んな話も聞いた。

その後、上海大厦(通称ブロードウェイマンション)の屋上に上がり、
夜景を楽しむ。
このビルの屋上からの景色、左手に浦東から黄浦江、右手に
旧共同租界地域の古い洋風の建物が並ぶ
絶景ポイント
なのです。
夜は暗いけどね。
ただしいつでも入れるわけではなく、フロントの服務員(=従業員)の
方のご機嫌次第なのであります。

その後は上海のダウンタウンをぶらぶらしたりしてホテルに戻る。
今日は結構歩き疲れた。

明日はどんなことがあるんだろうか。

揚子江に浮かぶ中国海軍の軍船。


西洋人姉妹と記念撮影。


鑑真号です。


上海の街中。まだ車は少なかった。


戦中の雰囲気を残す外灘の風景。
朝食 パン、スープ、コーヒー、ゆで玉子 無料 宿泊
昼食 ホットドッグ、オレンジジュース 5元 浦江飯店
夕食 スペアリブ、焼きそば、春巻、スープ 3.5元 30元(ドミトリー)

*ミニ知識@2つの通貨

1991年、中国元は2種類ありました。
中国人民達が使う
「人民幣(レンミンピー)」と、主に外国人が使う「外貨兌換券(ワイホイ)」です。
外国人旅行者が銀行やホテルで両替すると、普通は「兌換券」に換えられます。
「兌換券」でも普通の店で使えるのですが、一流ブランドや高額商品などは「兌換券」を要求されることが多い。で、お金持ちの人民達は、そういう商品を買いたくても「兌換券」が無い。
とすると、当然の流れで「非合法両替屋(チェンジマネー。略してチェンマネ)」の登場となるわけです。
当時、かなりレートは悪くなっていたとはいえ、兌換券100元で人民幣110〜120元くらいで換えられました。1.2倍使えるんだから、貧乏学生にとってはかなりオトク。
この制度、1994年末をもって終わり、人民幣に統一されました。

こちら、外貨兌換券。おもちゃ紙幣のようにきれい。
これで0.1元(約2.6円)
これが人民幣。汚ねー。とても同じ価値と思えん。
端っこ切れてるし、後ろをテープで貼ってるし…

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■3月8日(金)4日目 “魔都”上海滞在
朝から北京行きの列車のチケットを買いに、北京東路にある売り場へ
行くが、売り切れだった。
しょうがない。明日の朝、駅に直接行って買うことにする。

南京東路にあるデパートで、中国では珍しい?エスカレーターに
乗る。店内は賑わっているが、商品数はやはり少ない。
みんな何しに来てるんだろうか。

ここから歩いてすぐの
人民公園に移動。
しかし、寒いしどんより曇っているが、人の数はまばら。
こりゃいてもしょうがないと思い、移動。

また東に戻る。
「上海の浅草」と呼ばれる
「豫園(ユイユエン)商場」へ。

ちなみに、上海での移動は全て歩き。
上海の街って、思ったよりずっと狭い。
歩ける距離に見どころが集まっている。
以降の街では必ずバスやトロリーに乗って移動していたが、
上海では徒歩でも全然OKです。

ここでは、現代の日本でもとても有名になっている
「南翔饅頭店」の小籠包を食った。
確か2階建て建物の2階で。
おばちゃん達に囲まれて。
小振りのスープ入り肉まん。
1セイロに10個くらい入っていて、
4.8元(約120円)くらい。
安っ!
噂どおり、
很好吃!(ヘンハオチー!=めちゃうま!)。

ちなみに現代の日本では、6個入りで780円でございます。
高級だ。
六本木ヒルズに入ってるし、場所代だな。

腹ごしらえして、隣の中国式庭園
「豫園」を散策(入園料2元)。
明の時代1500年代半ばに作られた。
しかし、美しい日本庭園を見慣れた我々には、ごつごつした岩
だらけの庭はあまり美しいとは思えず。

豫園を後にし、また市内に戻るも歩き疲れて、老舗ホテルの
和平飯店で休憩してると、中国人男性が話しかけてきた。
年は25歳で北京に住み、歌を歌っているという。歌手?
妙に面白くて筆談に付き合ってたら、
「外灘で写真を撮ろう」
とおっしゃる。
何枚か写真を撮ったら、今度は
「荷物を置きに行くからホテルまで行こう」
と言ってきた。
この頃から「何かあるな」と警報が鳴りまくっていたので、時計を
指して「時間がない」と身振りで話すと、
「私は急いで帰らねばならない。飛行機代が
50元
足りないから貸してくれ!」と来た。
やっぱりねー。
真面目なやつかなと思っていたのに、とても残念。
丁重にお断りして別れました。

気を取り直して、夜は上海名物
雑技団鑑賞!
当日だったので、3区(5元)の券を14元で購入。
なかなか面白くて、ちょっと間延びするのが残念だったが、
とても楽しめた。
本当に人間技ではない出し物が出て興奮します。
最後に出てきた象は
赤フンをしている変なヤツで、とても
芸達者。話によるとパンダよりも上手いらしい。

帰りに一緒になった日本人たちと酒を飲み、また上海
大厦に
上った。




  一番左、皿ではなく巨大なたらいみたいな物を回してます。


   フィナーレ、赤フンした象が登場して客席大興奮。

上海一の繁華街、南京東路。


人民公園のオブジェ?


豫園にて。日本人といっしょ。


こいつです、コイツ。その異常に長いマフラーも怪しい。


こんな細い棒の上でピョンピョン飛んだリ…


一番下で人が足で支えてます。
一番上で人が逆立ちしてます。
朝食 パン、コーヒー、ゆで玉子 無料 宿泊
昼食 牛肉入りラーメン、南翔の小籠包 約6元 浦江飯店
夕食 不明 30元(ドミトリー)

*ミニ知識Aお金の呼び方

中国の通貨は、言うまでも無く「元」ですね。
でも、ジモティーは「ユエン(=ゲン)」とは言いません。
間違いなく、元は
「クアイ」と呼び、0.1元の角は「マオ(毛)」と呼ぶ。
物を指して、「
多少銭?(トゥオシャオチェン?)=なんぼ?」と聞くと、「リャンクアイスーマオという具合に返ってくる。
「2クアイ4マオ」、つまり
「2元4角」ということなんです。
これを使いこなせれば、あなたもれっきとした中国人(チュングォレン)だ!

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■3月9日(土)5日目 “魔都”上海を後に
昨日寝るのが遅かったので、朝起きるのも遅い。
朝飯を食って、洗濯をして、列車のチケットを買いに行く。

場所は上海站(ジャン=駅)。
上海站は大きい!人が多い。
こんな多くの人間が列車に乗れるのか、と思ってしまう。

外国人用の窓口で、3時に次の日のチケットを売り出すと聞いて
いたので一応見に行ったら、日本人の女の子2名が桂林行きの
切符があるか聞いていた。
だめでもともと、今日の22次(=番号ね)の特快(=特急ね)の
硬臥(=普通寝台ね)はあるかと聞くと、なんとあると言って
きた!
すぐに予定を変更してチケットを買い(
241元!)、ホテルに
帰って荷物をまとめる。ホテルの延長30元を既に払っていたので
痛かったが、切符があったのは超ラッキーだった。

適当に晩飯を食い、1時間前に上海站の待合室に行くと、同じ
列車に乗る日本人がいたので一緒に乗り込む。

19:55、上海発北京行き 直特快22次 発車!
その距離
約1460km17時間の道のりである。

3階建ての硬臥は噂通りの世界が広がっていた。
昼間は皆さん一番下の席に座り(それが誰の席だったとしても)、
しゃべったり飯食ったり、家族団欒の図である。
通路ではひまわりの種食ったり落花生を食ったりした後の
殻が散乱。タバコの煙。騒々しいったらありゃしない。
もし一番下の席になったりしたら最悪だ。プライベートのプの字も
なし。潔く座席を提供するしかない。
やっぱり快適なのは真ん中か一番上。

もう一人の日本人の席には北京に住む母娘が乗っていた。
その子は10歳で小学校に通ってて、温州の方へ遊びに行った
帰りだという。
なかなかかわいらしくていい子だった。一緒に写真も撮って
色々な話をしたが、
筆談というのはとても難しい。
今更ながら中国語をやっていればと思う。

自分の寝床に戻る。
もう少し上海にいたかったような気もするが、中国では行ける時に
動かないといけないという原則を思い出し、外灘の眺めを思い出し
ながら寝るとしましょう。



上海大厦から、発展中の浦東・外灘地区を望む。


蘇州河方面。


上海⇒北京の車内。この子はかわいかった。
朝食 パン、コーヒー、目玉焼き 無料 宿泊
昼食 玉子チャーハン 1.65元 麻雀(雀を揚げたもの) 1.5元 車中泊
夕食 鶏の肉を煮たものの定食 5.8元

*ミニ知識B外国人料金

差別以外の何物でもないが、当時は外貨兌換券に加え、「外国人料金」なるものがあった。
レストランやホテルの料金、列車などの運賃、観光地の入場料などなど、中国人向けの料金と外国人向けの料金の2重価格制。
当然だけど、外国人料金は高い。列車の運賃なんて、中国人の
1.7倍!もした。
「中国人は貧乏で、外国人は金持ちだから、高い金取って当然」的な単純発想が中国らしい。

しかし、貧乏学生はそんなのお構いなし。
なるべく地味な格好をし、一言二言の中国語で会話して、
「いかに中国人のフリして中国人料金で暮らすか」に命懸けてました。
結構成功しましたね。本当はいけないことなんだろうが。
しまいにゃ中国人に道を聞かれる始末。そんなに馴染んでました??

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■3月10日(日)6日目 首都北京に到着!


列車の中は意外に寒かった。
何時間も同じ風景が続いていくうちに
が積もってきた。
こりゃ北京は相当に寒いなと思う。

隣の席にイギリスから来た兄弟が乗っていた。
兄の方はドゥンケルと言い、東京で英会話を教えている日本語の
うまい兄ちゃんであった。
西欧の人は漢字がわからないので、中国を旅行するのはかなり
大変だろうなと考える。

そうこうするうちに13時頃、
北京に着いた。
北京は思ったほど寒くなく、雪も全然降っていなかった。
まず地図を買って取りあえず
地下鉄(! 北京には地下鉄が
あった。さすが首都)に乗り、宿を探しに行こうということで、もう一人
の日本人と別れた。

それからの数時間は
地獄だった。目星を付けていた恵中飯店や
光華飯店、楽遊飯店などで全て「
没有(メイヨウ=ありません!)」
と言われ、部屋が見つからない。
20kg近い荷物を抱え、広い北京で部屋探しをしなきゃいけない
苦労。行き当たりばったりの旅の悲哀。

しょうがなく、切り札?だった
「僑園飯店」に行く。
ドミトリーは無いと言われ、仕方なく50元のツインに泊まろうかなと
考えてたら、ちょうど一人の日本人が来たのでツインに一緒に泊まる
ことになった。
彼は日大の4年生で、ハルピンから来たとこだという。

はっきり言ってクタクタに疲れていたので、晩飯を食って久しぶりの
シャワーを浴びて、死んだように寝た。

切符の申込書? 左下に「外貨兌換券」の文字が。
朝食 パン、オレンジ、玉子 宿泊
昼食 なし 僑園飯店
夕食 炒飯、麻婆豆腐、羊肉の炒め物、ビール 7.5元 25元(ツイン)

*ミニ知識Cメイヨウはつらいヨウ

中国を旅行していて最も良く聞くフレーズ、それは「没有(メイヨウ)」であるのは、否めない事実であろう。
えー、訳しますと
「ありません」「ないよ!」「(あるけど)ないよ!」「(探すの面倒だから)ねーよ!」「おとといき来やがれ!」
など、時とシチュエーションによってたくさん活用しているようです。
お店、列車の切符売り場、ホテルのフロント・・・何十回、何百回と言われますが、へこたれてはいけません。
「絶対あるだろ!」と思っても、怒ってはいけません。相手の機嫌が、今、悪いだけです。たぶん。
ちょっとしてからもう1回聞いてみましょう。

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■3月11日(月)7日目 北京を歩く
朝起きたのは9時頃と遅い。
朝飯を食って、同じ部屋に泊まった田○君と一緒に出かけること
にする。

まず広大な
天安門広場に行く。
世界最大、
約40万uの広さで、100万人の集会ができるという。
1989年6月、人民解放軍が学生デモを武力で鎮圧し、世界中の
非難を浴びた
天安門事件の記憶も新しい。
軍らしき人が所々に立っていて怪しい人がいないか見張っていた
が、今では写真も自由に撮っていいようだ。
でも門の前で人民解放軍の行進がいきなり来てちょっとビビった。

天安門の先には、これまた世界最大の博物館、

故宮(世界遺産)
がある。
紫禁城とも呼ばれ、明・清代の宮殿であり、東西750m、南北1km
の長方形である。

故宮は外国人料金だと40元も取られ、各所フリーパスで入れる
のと解説テープが付いてくるのだが、僕たちは何の気なしに
切符を買ったら人民料金
3元で入れてしまった。
各所で追加した料金を合計しても12〜13元で済んだので、かなり
得をした。
だいぶ中国人民になじんできたようだ。

故宮は確かに素晴らしいが、日本的な美を知っていてそれで
暮らしてきた日本人には、ちょっと相容れないものがあった。
まあそれでも建物のでかさや、豪華さは知ることができた。

故宮を出て田○君と別れ、僕は故宮の先にある
景山公園
行く。
景山は高さ45mの人工山で、平坦な北京市内ではとても貴重な
景色良好スポットである。
えっちらおっちらと山を登ると、故宮を一望できる所に立った。
さすがに広いが、ちょっと薄曇りだったので先のほうは見えな
かったが、広さは実感できた。

その後、北京のメインストリート、
王府井のあたりをぶらぶら
した。北京飯店の東側の道から北に延び、百貨店・外国製品の
店などがぎっしり並び、人出もぎっしりである。
物に見慣れた僕には特に目を引くものは無かった。
街の面白さで言うと、絶対に上海の方がよかった。
やっぱり上海にもう少しいればよかったなあと実感。

北京飯店で田○君と落ち合い、前門で本場の
北京ダック
を食う。店は
全聚徳というところ。
二人で1羽(28元)。
かなり量が多く、プラス結構脂っぽいため。2/3くらいしか食べ
られなかった。
ハムのような感じがして、鶏の味ではないなとは思ったが、
なかなか美味かったな。
久々に豪華な晩飯だし。
1食10元(約260円)を越えることは滅多にないからね。

その後はいつものようにビールを飲んで寝る。燕京ビールは
1本1.5元で、味もまあまあだ。



北京名物、チャリ軍団の来襲。

天安門前。毛さんをバックに。


突然行進してくる人民解放軍の人たち。

天安門広場から。左に「革命博物館」右に「歴史博物館」が入る。


故宮の入場券。3元でしょ?


故宮の中。太和殿前にて。

景山からの故宮の眺め。かすみがかかっているのがちょっと残念。
朝食 トースト、玉子、コーヒー 5元 宿泊
昼食 羊肉の串焼きなど適当 2元 僑園飯店
夕食 北京ダックなど 16元 25元(ツイン)

*ミニ知識D市内の移動手段

中国後では列車のことを火車、バスを汽車と書きます。ややこしい。
都市間を移動する場合は火車が基本ですが、市内を移動する場合は汽車がメイン。特に北京みたいにだだっ広い街で威力を発揮する。
汽車を使いこなせるか使いこなせないかで、移動の効率は雲泥の差となる。自慢じゃないが、タクシーなんて1回も乗ってない。

この汽車、あなどれません。まず、市内のあらゆるとこを網の目のように走っているし、なんといっても安い!
だいたい1回乗って
1角〜2角(2円〜5円前後)。ありえない。路線図も売店で売っているから、それを見ればまず迷うことはないよ。
でも、乗るのが一苦労。順番なんて皆無の世界、皆さんバスが来たら乗車口に殺到するから、日本人の奥ゆかしさなんかを下手に見せてたら
一生乗れません。
でも、そういうのがまた面白かったりするんだよね。中国に行ったら是非乗ってください。
これがバスの乗車券。2角。(ほぼ原寸大)

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■3月12日(火)8日目 最悪の1日
今日は今までで最悪の1日と言ってよかった。
早く北京から脱出したかった。

まず今日は異様に寒く、雪が降ってたからたぶん気温は
マイナスだっただろう。

その中を
35元も取られて、ホテルの「万里の長城・明の
十三陵ツアー」
に参加したが、これが中国製のオンボロ
マイクロバスでの移動で、雪が降ってんのに
暖房がなく
寒さで凍るかと思った。
それに、日本人は僕一人で、あとは西洋人ばかり。

その中、一応
定陵まで行き、地下室のような地下宮殿を
10元も払って見て、さあ長城へ行こうと思ったら・・・

雪で道が閉鎖・・・

そのままホテルに直行。
明日は絶対金を返してもらわないと気が済まない。

ホテルも田○君が出て行ったため、50元でツインに一人・・・
駅に切符を買いに行ったら、絶対にあるはずなのに
「没有」
攻撃に遭う。ショックで死にそうだ。(「かわいそうな俺」by今の俺)

その後、
毛主席記念堂に行く。華国峰が2億元もかけて作ら
せたという代物。国旗に包まれた
毛沢東の遺体を見ることが
できる。
が、本物か?おもちゃのように見えました。写真撮影はおろか、
立ち止まることも許されず、通り過ぎながら見る感じ。

出た後に、鑑真号で一緒だった高○君に会って、王府井の屋台で
坦坦麺などを食う。その後、実家に電話を掛け、ホテルに戻って
ビールを飲み、広島大の4年の女子4人組のところに行ってだべる。

何だかわからんが、北京が嫌いになった。見るところだけ見て、
早く北京から離れたい。



定陵の前。寒くて死ぬ〜


毛主席記念堂。参拝?の人々が列を成す。

だだっ広い天安門広場。左側に人民英雄記念碑、奥に人民大会堂が見える。
朝食 ホットドッグ、牛乳 1.5元 宿泊
昼食 忘れた 僑園飯店
夕食 坦坦麺(1元)など適当 4元 50元(ツイン)

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■3月13日(水)9日目 気を取り直す
朝、駅に西安行きの切符を買いに行く。
160元で直快(=急行ね)の中舗(=寝台の中段ね)であったが、
まあまあの値段で取れた。
しかし、その時に「昨日は特快のチケットがあった」と言っていた
ので、いい加減な中国をまた実感した。

ホテルに帰ってから、ドミトリーに移ることが出来て非常にラッキー
でうれしかった。

1時を過ぎてから
頤和園(イワエン:世界遺産)に行く(2元)。
市の郊外にある大きな公園で、清代には夏の離宮として使われた。
総面積267ha。そのうち昆明湖が3/4を占める。

今日は天気が良かったので、仏香閣も非常にきれいで、昆明湖も
異様にきれいであった。
朝早くに来た方がもっと良かったかもしれない。

なかなか頤和園がよかったので気をよくし、また景山公園に行く。
今日は前来た時よりも遠くまで見渡せた。
茶色に輝く瓦がきれいであった。

ホテルに帰り、適当に飯を食って、出会った名古屋大の学生
3人組と色々話をした。
朝が早かったし、明日の朝も早いため、すぐ寝た。



美しい昆明湖をバックに。

頤和園の入場券。2元なり。





青空に仏香閣が映える。
朝食 なし 宿泊
昼食 都一処の焼売など 8.5元 僑園飯店
夕食 まずい餃子と青椒 5.5元 11元(ドミ)

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■3月14日(木)10日目 万里の長城へ
眠たい目をこすり、長城ツアーに出かける。
「最悪の一日」の屈辱を晴らす日がやっと来た!
今日は日本人もたくさん一緒だから大丈夫!

高○君、東京の学生6人組と共に、まず明の十三陵の神路と
定陵に行く。
「十三陵」とは、明(15世紀〜17世紀)の3代目永楽帝から最後の
崇禎帝までの13人の皇帝の陵墓である。
神路には、馬・ラクダ・麒麟・象などの動物?の象が通路の脇を
固めている。

次に十三陵ダムへ、くだらない竜宮城で入場料16元も取られる。

あまりに寒いので、定陵の売店で中国人かロシア人がかぶり
そうなふさふさの帽子を22元で買い、それをかぶって長城へ向かう。

万里の長城(世界遺産)。英語ではGREAT WALL。
全長約6000km。
北海道の先から鹿児島の先までの距離の
約1.5倍・・・
秦の始皇帝が北の匈奴の侵入を防ぐために建設した、世界最大に
して月から見える唯一の人口建造物、と言われてます。

北京からお手軽に日帰りで見られるポイントが、ここ
八達嶺
ある。
完全に観光地である。
長城も観光客向けにきれいに修復されてるし。
充実したお土産屋、溢れる観光客に、360度スクリーンに映す
長城の映像なんて超ハイテク技術も見ることができる。

長城は案外山の上の方にあるので、雪がかなり残っており、非常に
寒かった。
通路にも結構雪が積もっているので歩きにくいし。
けど、長城は写真なんかで見るよりとても大きく、美しかった。
滞在が1時間半くらいしかなかったのが残念で、嶺の一番上に
登れなかったのが心残り。
しかし、この前来た時の無念さを補って余りあるほどの素晴らしさ
だった。
できることなら2時間くらいじっくりと見てぼーっとしたい気分だった。

ツアーから帰って、寒いので最近できた
ケンタッキーのまずい
コーヒーでも飲もうと思ったら、上海にいた大阪の姉妹と、定陵の
駐車場でバスを探していた3人組の女の子に偶然会い、みんなで
焼肉を食いに行くことになった。

和平門の近くの
新立という焼肉屋に行き、店に入ると2階で
ドタバタしている音が聞こえてきた。
喧嘩をしているらしい。
と思ってると、喧嘩の当事者たちが凄い勢いで降りてきて、路上で
乱闘を始めた!なかなか面白かった。
焼肉はすごくうまく、ちょっと辛かったが充分満足できた。
食った後、写真を撮ってホテルに帰って寝る。

今日は
80元(でも2千円くらいだけど)も使ってしまったので、
これからは貧乏生活に徹しなければ。



「長城に登りましたよ」記念の券。


焼肉屋での大宴会終了。北京ダックに続く豪勢な晩飯だった。

十三陵の神路入場券(3元)


くだらない竜宮城。ヘンな帽子で中国人度アップ。


左側が男坂、右側が女坂。


結構急な坂なので、いい運動になります。


麓は遠くになりにけり。

山の向こうにうねうね続く長城。これを見れば寒さも辛さも吹き飛ぶ!ってもんよ。
朝食 クレープせんべい? 1元 宿泊
昼食 ラーメン 2.5元 僑園飯店
夕食 新立の焼肉 うまかった 約20元 11元(ドミ)

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■3月15日(金)11日目 さようなら北京
今日はとうとう北京を離れる日である。
旅を始めて11日目、ようやく1/3が過ぎた。

まず、見たいなと思っていた
雍和宮へ行く(2元)。
ここは黄帽派ラマ教というのの寺院らしい。
仏像がたくさんあり、チベット文字などの額が見られる。

しかし、これまで色々な極彩色の建物を見てきたが、ここのは
それらをはるかにしのぐ派手さであった。
色という色を全部使って作られているのではないかと思うくらい。
日本の寺にもあるような仏像も久しぶりに見た(もっと派手で豪壮
だが)。

その後、北京一と言われる
慶豊包子舗の肉まんを食べる。
安い!うまい!最高!
貧乏学生の昼飯にはぴったりだ。
焼きそばとかラーメンとかは日本で食ったほうがよっぽどマシだが、
肉まんだけは違う。
どこで食ってもうまい! 特にここのは今までで最高!

満足してホテルに帰り、5泊した僑園飯店に別れを告げる。
バス停までに高○君に会ったので別れを告げ、日本でまた連絡を
つけようと誓い合う。

北京駅に行き、次の目的地
西安行き279次直快に乗り込む。
19:26発、明日15:24着(予定)、
1200km、約20時間の旅。
基本的に夜行便で行って宿代を浮かせる。
これ重要。

硬臥に乗り、取りあえず周りの人に「日本人だ」と告げると、色々な
話をすることができた。洛陽から来た2人組の男の人は、西安の
うまい食べ物や見どころなどを教えてくれた。

思ったよりもみんなフレンドリーで、学生の一人旅という状況に
興味津々といった感じ。「この服いくらくらいするの?」とか「学校で
何を勉強してるの?」とか質問責め。もちろん筆談だけど。

そろそろ消灯なので寝ましょう。


雍和宮入場券。


派手派手な装飾。ペンキ塗りたてみたい。


僑園飯店のレシート? 解読不能。
朝食 トースト、玉子焼き、紅茶 3元 宿泊
昼食 慶豊包子舗の肉まん(最高にうまい) 約3元 車中泊
夕食 結局食わなかった。  

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西安以降に続きます・・・ 鋭意アップ中!